島津豊久の墓

付近住所 岐阜県大垣市上石津町上多良


 慶長5年(1600)9月15日、関ヶ原合戦における西軍島津隊の勇猛果敢な敵中突破の時、家老の阿多長寿院盛淳の殿隊は、東軍の追撃隊を喰い止め、長寿院盛淳は義弘の身代わりとなって上野で討ち死にし、豊久は烏頭坂で戦い、少数の残兵と共に上多良まで辿り着いたが、遂に白拍子谷で落命した。享年31歳であった。
 樫原の庄屋、三輪内助入道一斉等がその亡骸を懇ろに葬り、島津塚と呼んだ。菩提所高輪山瑠璃光寺には、島津豊久の位牌も祀られている。
 瑠璃光寺裏の島津豊久の墓は、関ヶ原合戦における島津隊の未曾有の戦場離脱を物語る大切な史跡である。